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2015年11月 9日 (月)

平成27年11月 天台会

 天台会



 
平成27年度の天台会(11月22日)は終了しました。
多くの皆様のご参詣を賜りありがとうございました。


 ・午前10時すぎより  大乗妙典読誦 (観音経)

 ・午後2時より 天台大師ご和讃 読誦

 


「天台大師について1」


  秋も深まり 報恩講 の季節になりました。

 

  さて、天台大師のお話をひとつ。
 大師がお悟りを開かれた後、当時の中国にあった王朝、
 陳の王(文帝)から招待を受け、王の前で、仏教の解説を行います。

 大師はその席で王より次の質問を受けました。

 

  「仏は本当におられるのか。仏の知恵はこの世に一体どのように現れているのか。」

 

  大師はこれに対し

 

 「この世には人間の欲によって乱された不安定な姿と、
 仏の慈悲のこころを映し出した安らぎに満ちた姿の二つの姿が現れています。
 この正邪の区別をつける方法が中道の法です。
 難しく考えず、まず法を学び理解することです。(注記)」

 

  と優しく解説されたそうです。

 

 仏法の実践を大切にされた大師の姿を良く伝えるお話です。




 令和四年の天台会

 令和三年の天台会

 令和二年の天台会

 令和元年の天台会


 平成30年の天台会

 平成29年の天台会

 平成28年の天台会

 

    西山光照律寺 住職




(注記)

 仏教はインドからチベットや中央アジアを経由して中国に伝わりますが、
仏教が中国に伝わり始めた当時、インドから中国を訪れた仏教僧らによる布教と共に、
仏教の理解のために、インドから多くの仏典を輸入し、中国語に翻訳する事業も熱心に進められました。

このため中国における仏教は経典を学問的に研究する学問仏教の色彩も帯びていきます。

仏教は、煩悩に振り回されない安心した心境を日常生活の中に顕すこと、つまり
  “悟り”を得るための生活のあり方
を説きますが、

当時の中国では、ややもすると学問的な仏教の探求に偏り、肝心の教えの本質が理解できなくなることがあったようです。

 天台大師は悟りを得られて後、生活の中での仏教の実践方法、慈悲の心、中道のあり方について、弟子達に具体的に詳らかに解説されましたが、これは後に摩訶止観(まかしかん)という口述書としてまとめられます。

中道とは、左右に偏らない真ん中の道のことを指します。

たとえば裕福な何不自由しない環境とその日の生活にも困るような境遇ではいずれも安心した心境を得にくいものです。

片方は増上慢な足ることを忘れた心を育みやすく、片方は自己卑下の心に染まりやすくなり、他者を省みる広い心を失いがちになります。

苦楽の両極端から離れ足ることを知った生活を営むことが大切です。
たとえどのような境遇にあっても、執着から離れ、自分本位の心を捨て、広い心を育てるこころがけが、心の不安を取り除いていくことでしょう。

例を食べ物にとってみても、
栄養のある物を摂りすぎればかえって健康を害しますし、
バランスのとれた食生活が大切なことはよく知られていることです。

このように、心のあり方、身体の健康、そして社会生活においても、偏らない道、中道を行うことの大切さを仏教は説いています。

大師が説かれた、仏法における「中道」には、更に全ての生命を生かす「大自然(大宇宙)の意志」という意味もありました。

他の項に摩訶止観の一節である【円頓章】をご紹介していますが、ここには下のような言葉があります。


    “初縁実相(しょえんじっそう)。造境即中(ぞうきょうそくちゅう)”

(意訳) この世は、仏の慈悲の心を映しだし、諸々の存在が縁によってつながり、
     中道の法によって安定して存在している。


実相とは“仏(大宇宙を支配している意識)の意志(智慧)の現れ”を意味します。これが”中道”であると説いているわけです。

大師は人間一人一人が神仏の中道のこころをくみとり、生活に生かしていくことの大切さも説かれました。

 

(修正  平成27年11月29日、12月6日、平成29年1月5日)

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