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2015年2月16日 (月)

伝教大師と山家会

 山家会について


 六月四日は伝教大師(でんぎょうだいし)最澄(さいちょう)師の旧暦でのご命日にあたります。(西暦では822年6月26日)

 最澄師の教えを受け継ぐ寺院では、山家会(さんげえ)と称して、六月四日当日、またはその前後の日に師の威徳をしのぶ行事を行います。

 伝教大師は平安時代の初期のお坊さんで、遣唐使船で中国に渡り、その当時の中国にあった「摩訶止観(まかしかん)」と呼ばれる仏教の教えを日本に持ち帰った方です。「摩訶止観」は天台大師(てんだいだいし)智顗(ちぎ)師というお坊さんがまとめられた仏教の解説書です。当時の中国で盛んに学ばれていましたが、日本にはその詳しい内容がまだ伝えられていませんでした。また、天台大師は法華経(ほけきょう)を中心に用いて仏教の解説を為された方ですが、伝教大師はこの法華経による仏教解釈も日本に持ち帰られました。

 最澄師(伝教大師)が臨終の際に遺された、以下の様な言葉があります。

「怨みを以って怨みに報ぜば、怨み止まず。徳を以って怨みに報ぜば、怨み即ち尽く。」

意訳
「怒りや憎しみの心を向けられたときに、その悪の種を食べて己もその心を抱くのでは互いの憎しみが消えることはない。怒りや憎しみの心を抱く相手に赦しと寛容の心で接し、慈悲の行いを為すのであれば、相手の怨み心は忽ちに消える。」

「わがために仏をつくるなかれ わがために経を写すなかれ わが志を述べよ」

意訳
「私のあの世の冥福を祈って、仏像を作ったり、写経したりしてはならない。私の志を受け継ぎ仏教の慈悲の教えを人々に弘めなさい。」

このように、慈悲心の大切さを理解し己も実行出来るようになりなさい、そしてその心を一般の人々に伝えていきなさい、と説かれました。

 先にも述べましたように、最澄師の伝えた天台の教えを受け継ぐ寺院では、山家会(さんげえ)と称して、六月初旬に合わせ、師の威徳をしのぶ行事を行います。

 この日に、伝教大師の一生をつづった和讃(わさん)を奉読したりしますが、伝教大師の遺徳をしのぶことから、論義法要(ろんぎほうよう)を行うお寺もあります。私共のところでは、若い僧侶が集まって、論義法要のひとつである、「三問一答(さんもんいっとう)」を行います。

 ”論義”とは論講とも言って、仏教経典に説かれている教えについて師匠と弟子が質疑応答の形式で議論することです。

 大きなお寺では「講堂」があります。ここでは仏教に関する”講義”を行っていたそうですが、弟子達は講師の先生の講義を聴くだけでなく、講義の中で説かれた教説について、自由に講師の先生と質疑応答をしていたようです。これが”論義”です。天台の教えを受け継ぐお寺では、法華経に関する講義(講経)と論義が行われていましたが、室町時代のころまでは、”論義”が顕教の修行の一つの方法として盛んに行われていたそうです。これは後に、講師として”論義”に臨む僧侶にとって、自身の教義理解の発表の場ともなり、桃山時代からは、僧侶の教義理解を問う”試験”としても、行われるようになりました。

 現在まで残されている”論義”の記録のうち、幾つかがまとめられ、例えば法華三十講などと呼ばれるものになっています。この”論義”の内容を見てみますと、かなり形式化された文章で記されています。数百年の年月を重ねて”論義”が行われていくうちに、いつのころからか形式を整えた質疑応答が為されるようになっていたようです。

 私共の所で行う「三問一答」は、法華経に関する質疑応答の記録の中から、数題を選んで議論の様子を再現するモノで、問答形式で行う法要です。

 「三問一答」の内容をご紹介してみますと、例えば以下のようなものがあります。


問答1(法華経 一の巻、序品についての問答)


「質問」
法華経の序品の中に、座禅をして深い瞑想をすれば超人的能力で自由自在に行動できる五つの神通力を得ることができるとありますが、それは自然に正しい智慧が浮かび体得するものか、それとも修行して初めて理解し自分のものとするものなのか、どちらですか。

「答え」
自然に正しい智慧が浮かび体得する神通です。


問答2(法華経 五の巻、提婆達多品「ダイバダッタホン」についての問答)

「質問」

 お釈迦様は「提婆達多(ダイバダッタ)の前生は、阿私仙人である」と、前世の物語をされたと経典にありますが本当でしょうか

「答え」
 質問のとおり本当です。

 過去の先輩達の残された記録の一つですが、これを読むと昔の僧侶たちのざっくばらんな議論の様子が思い浮かぶことと思います。

 このように仏教の正しい知識を得るための手段として、かなり活発に”論義”が実施されていたようです。これは日本に伝わった仏教が学問的な探求のスタイルも持っていたことを示しています。

 しかし、人は正しく知識を得れば、すぐに悟りの心境にはいれるかと言いますと、普通の人ではそのようなことは、まずあり得ません。なぜなら、悟りとは心のあり方の問題だからです。私達が悟りを求める目的は、己の心の安らぎを得る為ですが、知識は豊富でも、日々の思念と行為のあり方が中道のこころからかけ離れ、不安定な心で生活していたのではなんにもなりません。

 仏教の知識を本当の智慧に昇華させるためには、仏教が説く中道のこころを日常生活に生かす実践の努力を積み重ねて行くことが必要です。中道の基準をもとにして、日々の生活の思念と行為の結果を反省・懺悔し、心の中にある間違いを捨て、真実のものを己の心に確立していくことです。これによって仏の教えの真意が理解できるようになっていきます。

 最澄師は学問的な探求では無く、己の心の悟りを目ざして日々精進するよう弟子達に言い遺していかれました。師が遺された、次のような言葉があります。

「うちに菩薩(ぼさつ)の行を祕し、~(中略)~、沙弥(しゃみ)の次に居すべし。」

意訳
「世間一般の人たちがいだく、外面的な聖者の基準に抗(あらが)うことなく、慈悲の心と行いの実践をうちに秘めながら、心の悟りをめざしなさい。席次(地位や名誉)にこだわってはならない。」



 平成二十四年六月三日 西山光照律寺 副住職(当時) 白崎良演
 (一部加筆・修正 平成二十四年六月十六日)

 

 

 

 平成27年2月15日 旧福井大仏HPより転載 










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